連載「わが家が目指したのはHSCの安心基地」vol.5
前号『HSCの安心基地』では、編集部の不手際により、掲載すべき第5話ではなく、第6話が掲載されてしまいました。そのため正しい5話を「4.1話」として掲載するととともに5話も再掲いたします。謹んでお詫び申し上げます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
入園から2週間が経ち「慣らし保育」から通常保育に変わりました。
慣らし期間は12時まででしたが、今日からは14時降園、時間はたっぷりです。慣らし期間は控えてあった『朝の活動』が始まりました。
内容は、園庭にある植物の水やりをします。こういう作業が大好きな息子のたけるは、はりきってやりとげて、「楽しかった」と報告にきます。
でも、変化は次々にやってきます。そのひとつが給食です。
「これから小学校の校舎へ牛乳を取りに行きます」と先生。顔を曇らせ、助けを求めるような雰囲気で私を呼ぶたける。
いっしょに校舎へ向かいながら、私の手を握りしめます。その強さと重たい足取りが印象的でした。
身体測定も保健室のある校舎への移動が必要でした。ここでもあきらかにゆとりをなくして、苦痛なようす。
結果、どの検査もつきっきりです。でもこれは想定内。気になったのは『校舎』へ行く際のたけるの反応です。
ママがいっしょで、しかも手までつないでいるのにどうしてだろう。ママの手を強く握りしめる手。
重たい足取り。
ママがいるのに不安(苦痛?)な表情……。
これは初めてじゃない……。
以前、初めて行った大きなショッピングモールの長いエスカレーターで移動中、吹き抜けの階下で行なわれているイベントで、大音量の歌や音楽が始まったとき。
そのときの反応や表情ととてもよく似ていることに気づきました。抱っこしても表情は変わらずなんとも言えない渋い表情。
恐怖? 苦痛? 不快?
感じたのは無力感かな?
それもあるけど、たぶん「抵抗不可能」なことへの「無力感」のようなものに感じられました。耐えがたいような苦痛なのに逃れられない……、「抵抗不可能なのはイヤだよ」「つらいよ」といった無力感です。
たけるは、校舎に行くこと対して、そのような「抵抗不可能」な感覚を感じたのかもしれない。
「でも、いずれは慣れて平気になるだろう」、そう思う一方で、本人にしかわからないであろう、この苦痛を伴う感覚は「いずれは慣れる」だけですませなくなるかもしれません。
自分を守れるだけの言語力や表現力を持たない今の時期、たけるのような気質の子はとくに安心で安全と感じられる基地や、どうしてもダメなときはいっしょに「回避」を選んでくれる存在が必要と、あらためて思いました。
とにかく今、私にできることは、園も校舎もどの先生も安全だ、安心だ、とたけるが感じるようになるまで、たけるの安心の基地でいること。(文・絵 斎藤暁子)
■著者略歴/(さいとう・あきこ)『HSC子育てラボ』代表。心理カウンセラー。息子たける(9歳)と精神科医の夫は、ともに敏感・繊細気質。新著に『HSCを守りたい』(風鳴舎)
■HSCとは……「Highly Sensitive Child」の頭文字を取った「HSC」は、心理学者エレイン・N・アーロン氏により提唱された概念。「ひといちばい敏感な子」「とても敏感で繊細な子」などと訳されている。HSCは障害や病気の名前ではなく、生まれもっての気質。
読者コメント