不登校新聞

480号 2018/4/15

本屋大賞・辻村深月が「最も緊張した」と語った取材 不登校当事者が聞いたこととは

2018年04月25日 21:52 by shiko
2018年04月25日 21:52 by shiko

 2018年4月10日、本屋大賞に『かがみの孤城』が選ばれました。作者・辻村深月さんは、多くのメディアで『不登校新聞』の取材時の思い出を語っています。それは『かがみの孤城』が不登校の子どもが主人公の小説であり、インタビューには不登校の当事者らがうかがったからでした。大賞受賞を祝して、2017年6月に取材した当時のインタビュー記事を掲載します。
 
 
――私は、高校3年生のときに友人関係でトラブルがあり不登校になりました。『かがみの孤城』には不登校の人が登場しますが、自分と重なりすぎて泣きそうになりながら読みました。辻村さんは、なぜ「不登校の痛み」を題材にしようと思ったのでしょうか?(20歳・女性)
 
 デビュー当時から10代を主人公にしてきました。そうすると自然、舞台は学校が絡むのですが、私は学校に対していいイメージはあまりないです。むしろ圧倒的に悪い思い出のほうが多い。それなのに、しんどかったからこそ、今もあの時期、とくに中学生時代が濃密だったように感じられるんですよね。苦しかったことも感動も今とは比較にならないほど鮮烈でした。毎日のように本やアニメやゲームにハマり込みました。あれほどの冒険を本のなかではしたのに、本当は学校と家の往復だったなんて思えないぐらいに(笑)。
 
 「読書が現実逃避になったんだね」と言われたこともありますが、そう言われると違和感があるんです。私にとって読書は現実逃避ではありません。人生の拠り所、もっとも大事な支柱でした。
 
 私のように学校がつらくてなんとか通っていた人は多いんじゃないかと思うんです。人それぞれいろんな事情や背景があり、痛みも含めていろんなことを感じています。何の憂いも悩みもなく学校に行けている人のほうがじつは少数なんだ、という思いが強くあり、この感覚はきっとみんな覚えがあるはずだという確信から彼らを主人公にしました。そして学校に行く・行かないを問わず、学校と家以外の「その他のなにか」があること。私にとっての本がそうだったように「その他のなにか」が現実と結びつく大切なものだということを書きたかったんです。
 

本人の選択を待ってほしい

 
――『かがみの孤城』には主人公たちを支える大人も登場します。学校に行かない子に対する大人の役割はなんだと思いますか? (本紙編集長・石井志昂)
 
 私が親になってからは、その返事が難しくなりました。ただ、本人の立場に立つと気持ちがわかることもあります。たとえば登場人物の一人は、親から「学校なんてくだらない、行かなくていい」「公立の教師なんかダメだ」と言われています。

 そう言われると「学校に行きたいけど行けない」とは言えないですよ。頭ごなしに「行かなくていい」と言うのは、表面上だけは多様性を認めるふりをしていて、そのじつ、本人の複雑な心境を踏みにじってしまうことがあります。
 
 じゃあ、どうすればいいのか。私も親なので教えてほしいぐらいなのですが、子どものときを思い出すと、信じて待ってほしかったなと。10代だったころは気持ちと行動がなかなか伴わないし、親としては子どもの今後を決めてあげないと責任を放棄している気にもなります。でも、親が「子どものために」と動きまわっているときは、「ああ、やっぱり信じてくれないんだな」と思っていたときもありました。
 
 親の葛藤もわかるし、子どもだったときのことも思い出すので、なかなか「これ」と言えないのですが、私は「私の選択を信じて待ってほしかった」と今は思います。

 
――『かがみの孤城』を読んで、学校に行ってない人の心境や支援教室のようすがとてもリアルで驚きました。小説を書くためにどんな取材をされたんでしょうか?(14歳・男性)
 
 まずは、今日会いにきてくださって、本当にありがとうございます。当事者の方があの話を読んで来てくださると聞いて、じつはこれまで受けたどのインタビューより緊張しています。だから、そんなふうに言っていただけるととてもうれしく、ほっとしました。
 私自身は教室に居場所がなかったり、学校に行こうと思うとお腹が痛くなったりした経験はありますが、不登校自体はしていないんです。今回の話についても、特定の場所や人にべったりついて取材をしてきたというわけではありません。正直に言えば、主人公たちが勝手に物語を進めてくれたなという感覚がありました。登場人物の一人は「孤城」で出会った人を支えたいと思い、そう思うことで自分自身が前向きになれて、結果、自分が支えられている。誰かを支えたいと思ったら自分が支えられていたというエピソードは、当初想定していたものではありませんが、この結末が書きたくてこの話を書きたかったのだと思います。

 

居場所になれば

 
 あとは、いろんな理由があって「学校に行かない」という選択をした人どうしを、「鏡の向こうが不思議な場所につながる」という設定を通じて、会わせてあげたかったんです。現実では友だち関係にままならなさを感じている人、たとえば『不登校新聞』を読んでいる人にも、この本を開いているあいだは私が書いた彼らと友だちになってもらいたかったし、この孤城を「居場所」に感じてもらいたかったんです。多くの居場所やみなさんのような活動で、私が「孤城」を通じて書きたかったようなつながりや居場所が現実に生まれていることが実感としてわかって、むしろ今日は私のほうが勉強になり、励まされる思いがしています。私の小説が、その現実に届いているのであれば光栄です。
 
――主人公の女の子は、教室でいやがらせをしてきた同級生を「消したい」と言っていました。私自身、不登校になったきっかけは人からいやなことをされたり、からかわれたりしたことです。今でも思い出すと許せないし、すごく悔しい。私も早く忘れてしまいたい過去なんですが、「許せない」という気持ちを持ったままでいてもいいのでしょうか?(20歳・女性)
 
 いやなことをしてきたり、からかってきたりした人のことは許さなくていいです。
 
 今回、この話を書くにあたってスクールカウンセラーの方にお話を聞いたのですが、その際に、多くの子が相手に対して「許せない」という気持ちを持つことができずに苦しんでいるというお話を聞きました。だから、今回、この質問をしてもらえてとてもうれしい。許さなくていいんです!
 
 『かがみの孤城』を書くときに決めていたのは、「いじめ」や「不登校」から連想できる典型的なパターンに彼らを絶対にハメないということ。ポプラ社の方もその点はよくわかっていてくれて、本の装丁に「いじめ」という言葉は一言も入ってません。
 
 というのも「いじめ」という言葉を使ったとたん、「ああ、あれね」って感じで急に物語として回収されてしまうんですね。主人公と同級生のなかで起きたことは、いじめでもケンカでもなかったと思うんです。でも、同級生が主人公の家の前にまで来たとき、どれだけ主人公が怖かったか、許せなかったか。心が摩耗しすぎて言葉にできないし、パニックに陥ってしまう。そこに至るにはどんな経緯があり、そのときどんな気持ちだったのか、長い説明が必要なんです。そうやって受けた傷のかたちはみんなちがって、誰ひとりとして同じということはない。長い説明以上のことにはならないし、当然、「いじめ」と一言で表せることなんかじゃない。そこをすくい上げるのが小説の仕事だと思っています。
 
 一方で、主人公にひどいことをした同級生の側もなるべくフェアに書きたかった。彼女にも事情があったのかもしれないし、無神経な学校の先生に逆に救われる人もいるかもしれません。傷つけた人にも事情があり、背景はあるかもしれない。でもね、それでもあなたは許さなくていいんです。傷つけてきた人の事情をあなたが推し量ったり、背負う必要はありません。大人と呼ばれる年齢になって、私は満を持してみなさんに言いたいことあります。年齢にかぎらず、くだらない人はいます、と。「大人」なんて呼べるような立派な人なんていないし、理解しあえないことに大人も子どもも関係ない。あなたが大切にしたい人を大切にするだけでいいんです。

生き方の比重は自分で決めていい

 
――私が不登校になってから、何もしていない時間が続いたとき、ふと「なんで人間は生きているんだろう」と思ったことがあります。辻村さんは何のために生きていますか?(14歳・女性)
 
 私はいま余生をすごしています。30代ですが、もう余生です。上の世代から「まだ若い」と言われますが年齢の問題じゃないんです。
 
 私もなんとか学校へ行ってましたが、人生で一番つらかったのが中学時代。私は「子どもより大人のほうが苦しみが大きい」とか、そんなことは誰にも言わせないぞ、という思いがあるんです。人生の本番は大人になってからなんてとんでもない、と。子どもだったときと大人になってから感じる悲しみや喜びの大きさは、けっして比較できないんだ、と。そう思っているんです。
 
 私はあれだけ苦しかったんだから、もう余生です。余生だから失敗してもいいし、余生だから挑戦もできます。すごく楽しいです、余生は。小説家にもなれました。まわりから「もう大人」と言われるになって、やっと勇気を持って言えることがもう一つあります。それは「大人になっても大丈夫です」ということ。生き方の比重は自分で決めてかまいません。何のために生きているかは、どんなに小さなことでも大きなことでもかまわないと思います。楽しいことがあれば、それを生きる理由にしてもいいんじゃないでしょうか。そう思うとけっこう楽しいことってあります。なので、どうかみなさんも余生の側までいらしてください。
 
――ありがとうございました(聞き手・子ども若者編集部/石井志昂)
 
 
◎取材後記「当初、断ろうと思っていた取材」

 辻村さんへの取材はポプラ社から声をかけていただいた取材でした。理由はもちろん題材が不登校だったからですが、私自身、じつは断る方向で考えていました。

 というのも不登校を題材にした作品はたくさんありますが、当事者から支持される作品はごくまれです。現実離れしたサクセスストーリーで嘘くさかったり、極端に悲惨さを描いたり、説教くさかったりするものが多いからです。とくに当事者の心境を描いたものとなると『14歳』(著・千原ジュニア)ぐらいしか著者インタビューまで検討した作品はありません(千原氏への取材はできていません)。

 『不登校新聞』だから「不登校を題材にした本」を扱うのではなく、『不登校新聞』だからこそ著者インタビューは厳選しています。

 しかし連絡をいただいて当事者に読んでもらったところ、他の「不登校本」とは一線を画すものでした。当事者は「あまりにリアルすぎて胸が詰まった」「この人は絶対に不登校をしている、じゃなければこんなの書けない」と絶賛していました。私も不登校という言葉にしずらい心境をていねいに描いていることに一種の興奮を感じました。

 不登校の「肌感覚」と言えばいいのか、きっとそれは多くの子どもにも起きている「苦しさ」を描いている本だと思い、取材をさせていただくことになりました。結果は上記のインタビューのとおりです。ぜひ本書も手に取っていただければと思っています。(『不登校新聞』編集長・石井志昂)

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