連載「仮説なんですが…」vol.22
奈良県明日香村にある石舞台古墳は、蘇我馬子の墓と言われている。巨大な古墳だったようだが、盛土は取り去られ、石室だけがむきだしになって残っている。古代日本の礎をつくったのは蘇我氏らしいが、「大化の改新」でクーデターを起こした天皇家によって蘇我氏は殺害され、悪者にされたあげく、蘇我氏の業績の数々は、すべて「聖徳太子」という架空のスーパースターの功績にされてしまった。この説については、いまでも教科書の記述をどうするかなど論争があるのだが、ほんとうだとすれば、勝てば官軍で、負けた側の声は、葬り去られたうえに、収奪されてしまったことになる。
歴史は、そういうことのくり返しなのだろう。昔から「改ざん問題」はあるのだ。しかし、勝った側が安泰かと言えば、うしろめたさは常にある。だから、たとえば藤原氏なんかも、政敵として左遷した菅原道真を神さまにして祀ったりしてきた。負けた側のうめき、もっと言えば、民衆のうめきみたいなものを、勝った側=権力は常におそれている。
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