不登校新聞

625号 2024/5/1

「不登校の歴史」に関連する記事

第211回 日本初の受託支援調査

1993年には、小中学生の登校拒否の児童・生徒数は7万5千人。すでに、増加をたどりはじめて18年も経っており、その間、一度も下降することはなかった。この数字は、年間30日以上欠席…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 211号 2007/2/1

第212回 ほしいのは「仲間」と「情報」

ホームエデュケーションの拡充を目的に、全国ではじめて93年の2~3月にかけて行なわれた不登校家庭への調査の詳細については『不登校の子どもたちは家庭でどうしているか』(教育資料出版…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 212号 2007/2/15

第213回 成長の多様性

日本の社会は家の中で成長することを認めない社会である。しかし私たちは、子どもが家庭で育つことも成長の一つの方法だと考えていた。家で育つことをもっと肯定的に捉え、家庭で子どもは育た…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 213号 2007/3/1

第214回 わが国初の国際シンポジウム

家庭で育つことを肯定的に捉え、情報提供や仲間との出会いを目的に、ホームシューレ活動を開始したのは1993年秋のことだった。(前号、1994年となっていたのは誤り)。1年間の試行期…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 214号 2007/3/15

第215回 イギリスのホームエデュケーション

ホームエデュケーションに関するわが国初の国際シンポジウムで、イギリスから来日したポール・ベントレーさんは「わが家はホームエデュケーションを選んでいます」と父親の立場で語ってくださ…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 215号 2007/4/1

第216回 チョイスの意味

94年9月「ホームスクーリング・ホームエデュケーション・不登校について考える国際シンポジウム」を開催し、アメリカやイギリスの実施状況を、その話のなかから紹介してきた。イギリスのポ…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 216号 2007/4/15

第217回 家庭で育つのは同じでも

連載「不登校の歴史」 イギリスでは、ホームエデュケーションが教育の"選択”と位置づいている。それぞれ、学校で教育を受けるより、子どもにとってよい、あるいは親の意識に合っていると…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 217号 2007/5/1

第218回 拡がるホームエデュケーション

連載「不登校の歴史」 不登校を受けとめたあと、どんな選択肢をもって、わが子の教育を考えていくか、という点が親には重要である。その際、フリースクールやホームエデュケーションは、一…

  いいね!   kito-shin kito-shin from 218号 2007/5/15

第219回 大河内清輝くんの遺書

連載「不登校の歴史」 前号まで、ホームエデュケーションの展開について紹介してきたが、90年代半ばごろ、学校教育の現状はどうであったか。 いじめはずっと続いていた。 94年7…

  いいね!   none 匿名 from 219号 2007.6.1

第220回 とがった鉛筆

連載「不登校の歴史」 94年11月末、大河内清輝くんのいじめ自殺があり、報道機関は毎日いじめについて報道した。これだけ、長期にわたってマスコミに報道され、社会的関心を集めたのは…

  いいね!   none 匿名 from 220号 2007.6.15

第221回 国のいじめパンフレット

連載「不登校の歴史」 もしかして、読者のみなさんのなかには、「鉛筆はデザインなのだから、いじめと関連づけて批判することはない」と思った人もいるかもしれない。しかし、いじめ対策の…

  いいね!   none 匿名 from 221号2007.7.1

第222回 緊急避難としての欠席や転校

連載「不登校の歴史」 大河内清輝くんと連続して何人かのいじめ自殺が続いたあと、文部省は大量のいじめ防止パンフレットを発行、配布した。そこに、尖った鉛筆のデザインを登場させた無神…

  いいね!   none 匿名 from 222号(2007.7.15)

第223回 東京シューレの発展期

連載「不登校の歴史」 90年代半ばのころ、市民側の動きはどうだったろうか。85年に出発していた学校外の居場所・フリースクールである東京シューレは、このころ、もっとも発展期にあっ…

  いいね!   none 匿名 from 223号 2007.8.1

第224回日米フリースクール交流

連載「不登校の歴史」 90年代半ば、東京シューレは、スペースが拡がるだけでなく、東京シューレ外の人たちとも積極的に交流し始めた。子どもたちは、元気でイキイキと活動した。とりわけ…

  いいね!   none 匿名 from 224号2007.8.15

第225回 アパラチヤ山脈のふもとまで

連載「不登校の歴史」 1994年春、東京シューレの子どもたちが送った1通の手紙から始まり、ついに実現した「日米フリースクール交流」。 前半は、クロンララスクールの子どもたちが…

  いいね!   none 匿名 from 225号 2007.9.1

第226回 広がる学校外の活動

連載「不登校の歴史」 1995年は、東京シューレが発足してちょうど10年たった年であるが、学校外の居場所・学びの場をつくり出して、本当によかったなあということ続きだった。あとか…

  いいね!   none 匿名 from 226号2007.9.15

第227回 ユーラシア大陸横断旅行

連載「不登校の歴史」 世界で一番大きな大陸、ユーラシア大陸を端から端まで横断したい、こんなすごい夢が生まれたのは、94年4月、日米フリースクール交流が終わりかけのころだった。そ…

  いいね!   none 匿名 from 227号(2007.10.1)

第228回 僕らしく君らしく自分色

連載「不登校の歴史」 大陸横断旅行を敢行した95年の9月、東京シューレの子どもたちは、18人の手記をまとめ、「僕らしく 君らしく自分色」という本を出版した。刊行委員会のまとめ役…

  いいね!   none 匿名 from 228号2007.10.15

第229号 学校って何?

連載「不登校の歴史」 90年代半ば、子どもたちをめぐってどんな状況があったのだろうか。もう少し、『僕らしく君らしく自分色』(教育資料出版会)の手記より拾ってみる。どの子も、学校…

  いいね!   none 匿名 from 229号 2007.11.1

第230回 親の会の盛り上がり

連載「不登校の歴史」 94年11月、「親の会10年――子どもの"いま”を受けとめて」という集会が、東京は日本教育会館で開かれた。登校拒否をしている子どもを学校復帰させようとする…

  いいね!   none 匿名 from 230号(2007.11.15)

バックナンバー(もっと見る)

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…

623号 2024/4/1

就活の失敗を機に、22歳から3年間ひきこもったという岡本圭太さん。ひきこもりか…

622号 2024/3/15

「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都さん。10代に向けた小…